2006/09/23

厳島神社観光&参拝 広島家族旅行

広島家族旅行で、宮島・厳島神社を観光&参拝した記録です。宿泊先である錦水館にチェックインした後、夕食まで少し時間があったので散歩がてらブラブラ厳島神社の方へ行ってみました。

その日は厳島神社に勤めている方達の慰労会か何かだったようです。知らなかったとはいえ、中へ入ってしまった挙句、大鳥居が真正面に見えるベストポジションに沢山の人が座っていて「邪魔だなぁ・・・近くに寄れない・・・」と思った私。

アナウンスを聞いて慰労会だと知り、関係者以外立ち入り禁止なんじゃん、邪魔なのは私達の方だった!!と反省。申し訳ない事しました。(といいつつ、しっかり記念撮影。)

夕暮れ時の厳島神社

厳島神社01

厳島神社02

厳島神社03

厳島神社04

厳島神社05

厳島神社06

夕日と大鳥居

夕日と大鳥居01
沈みゆく夕日と厳島神社の大鳥居を眺めていたら

夕日と大鳥居02
小船が。

夕日と大鳥居03
写真がいまいちですが、実際の風景はため息がつくくらい綺麗でしたよ。いつまででも、ボーっと見ていられそうな感じです。

厳島神社から見る夕日

厳島神社から見る夕日

厳島神社から見る夕日

ライトアップされた大鳥居

日が暮れて、ライトアップされた大鳥居を見る為に、御飯を食べた後散歩にでました。三脚持ってこなかったので、ブレないように撮るのが大変。船乗りたかったです。

夜の大鳥居

夜の大鳥居02
ライトアップされた大鳥居も綺麗でした。

厳島神社 観光(翌日)

翌日、明るくなってから拝観料金を払い再び神社へ。時間帯が違えば、見える景色も違うのでなんだか得した気分。

厳島神社(3)-1
干潮時に、大鳥居のすぐそばまで歩いていって撮影しました。

厳島神社(3)-2
こちらは厳島神社からの眺め。宮島に着いた日は、満潮時の厳島神社と大鳥居、夕暮れ時の風景や、夜のライトアップされた姿を楽しみましたが、翌日は潮も引いてすぐ近くで見ることができました。宮島宿泊の特権ですね。

厳島神社(3)-3
おじさんが持っていたビニール袋に餌が入っていると思ったのか、こんな所までついて来てしまった鹿さん。ま、そのおじさんも鹿さんがついてきているのをわかっててわざとガサゴソさせながら誘導してましたが、まさかかわいい鹿さんと一緒に記念撮影できるとは思っていなかったのでちょっと嬉しかったです。(*^o^*)

厳島神社(3)-4
大鳥居から見た厳島神社。

厳島神社(3)-5
下を見たら、いっぱい貝がいました。そのなかで動きが早いものを発見。ヤドカリ?

厳島神社(3)-6
五重塔

日本三景は、みなさんご存知のとおり、広島県廿日市市の厳島(宮島)、宮城県宮城郡松島町の松島、京都府宮津市の天橋立 ですが、私があと見てないのは後、天橋立だけ。

夫は関西出身なので、天橋立は何度も行ったらしく「日本三景達成~」と自慢してました、いいなぁ・・・

ちなみに、日本三舞台は、
厳島神社(広島県廿日市市)の板舞台
四天王寺(大阪市天王寺区)の石舞台
住吉大社(大阪市住吉区)の石舞台

悔しいので聞いていませんが、きっと夫は、日本三舞台も網羅したんでしょうね・・・。私はまだ厳島神社しか見ていないので、後2箇所も残ってます。日本一とか世界一とか言われていると行ってみたくなります。日本三景は、不思議と網羅したくなります(気分はスタンプラリー)

参考:

宮島

「神の島」として崇められてきた宮島は、美しい瀬戸内海に浮かぶ歴史と浪漫の島。厳島神社の雅やかな社殿や朱塗りの大鳥居が紺青の海と島の自然に見事に調和して平安朝の優雅さを醸している。

桜や紅葉が美しい渓谷と古代からの姿を大切に保存されている弥山原始林、その変化に富んだ風光は古くより人々から愛され、松島、天橋立とならんで日本三景の一つになっている。

「神々が宿る島」として伝えられる宮島の歩みは、遠く昔をひもとけば、伊都岐島の神と共にあった。14世紀から15世紀初頭にかけて宮島には次第に町が形成され瀬戸内海の要港となり交易も盛んだったが、やがて交通の発達に伴い、神社を中心とした観光地として脚光を浴びるようになってきた。

また、島全体が日本における代表的な暖地標準林であることから、瀬戸内海国立公園の一角を占め、特別史跡・特別名勝、風致地区、天然記念物などの指定を受けている。

其の美しい自然の中に保存された神話や伝説は、神秘的な景観と相まって、訪れる人々に脈々と受け継がれてきた歴史の重さを伝えている。今日では、世界文化遺産にも登録され、美しく豊かな自然と厳島神社など、数々の建造物や文化財を守り続ける努力がひきつかがれている。

錦水館宿泊時、フロントでもらった観光用ガイドと厳島神社HPより引用

厳島神社(国宝・重文)

海中にそびえ立つ朱塗りの大鳥居とともに、観光日本のシンボル的存在になっている厳島神社。スケールの雄大さ、寝殿造りの技の極地を物語る建築美、どこをとっても国内有数の名社といわれるにふさわしい威厳と風格に満ちている。

社殿の創建は推古元年(593)佐伯鞍職によるものと伝えられ、その後の仁安3年(1168)平清盛によって現在のように造営された。本社を中心に客神社(まろうど)、門客神社(かどまろうど)、大国神社、天神社などの各社が配置され、朝座屋、高舞台、楽房、能舞台などがその間に設けられています。

また、内侍橋、長橋、反橋などの端が架けられ、建造物は延長108間におよぶ回廊でつながれている。鮮やかな朱塗り・檜皮葺きの荘厳な屋根、清楚に配列された柱、ゆったりとした板敷床など平安時代にその極に達した寝殿造りの建築美を誇っています。

戦国時代には、日本三代奇襲戦の一つとして有名な厳島合戦の凄絶な舞台となったことでも広く知られています。

神社には、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと),田心姫命(たごりひめのみこと),湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神が祭られており、古くから海上安全・商売繁盛の守護神としてあがめられてきました。

海中を敷地とした構想は、御祭神が海の神様であるため現世に竜宮城を再現しようとしたためか、また来世を船で渡って極楽浄土にまいる藤原時代の浄土信仰の一つのあらわれか、とにかくも平安時代の人工美と自然美の調和がここに結晶した一大偉観です。

錦水館宿泊時、フロントでもらった観光用ガイドと厳島神社HPより引用

■厳島神社の大鳥居

朱塗りの大鳥居は宮島のシンボルで満潮時には海中に浮かんだように見え、潮が引くと砂浜に立ちとても雄大で優美。

現在の大鳥居は、四脚造りで、平安時代から8代目にあたり、明治7年10月17日に建立にかかり、明治8年7月に完成したもの。主柱は宮崎県と香川県の楠が使われ、総高53.3尺(約16m)、主柱の高さは44.5尺(13.4m)、主柱のまわり33尺(9.9m)、棟の長さ77.8尺(23.3m)、本社の拝殿より108間、火焼前より88間海面に、鳥居本体の重みで立っています。

大鳥居の額の文字は、有栖川宮熾仁親王の染筆で沖側「厳嶋神社」、神社側「伊都岐島神社」、額の裏側に「明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書」と記されたものが掲げてある。 (錦水館でもらった観光ガイドより)

大鳥居の屋根の直下に石ころ約7トンを‘おもし’として入れられているらしいです。(広島ぶらり散歩  さんの厳島神社・大鳥居について書かれているページより)