家族旅行で鹿児島へ行った時に観光した仙巌園と照国神社の記録です('06/07/16観覧)。晴天に恵まれ、仙巌園へ着き車を降りると、途端に汗が吹き出るくらいの暑さでした。
仙巌園 園内
手のひらよりも大きな葉に、驚きました。「鹿児島の夏って暑そうだなぁ。よくもまぁここまで育ったもんだ。」と内心思う。
磯御殿、錫門の横にあった獅子乗大石燈籠(ししのりおおいしどうろう)
三十九代島津忠義が明治17年(1884年)御庭方小田喜三次に造らせた燈籠で、大きく口を開けた獅子は飛び獅子といいます。
この石燈籠は火袋だけに加工した石を使い笠石と台石は自然石で組んだ山燈籠と呼ばれるもので、獅子と火袋石は花倉御仮屋跡にあったものを使い、笠石は磯海岸の防波堤に使われていたもので畳八帖分もある大きな石です。
園内にあった説明文より引用
日本で最初のガス燈・鶴燈籠もあったが、桜島のあまりの美しさに写真撮るのを忘れた。
あまりの暑さに、園内一気に見てまわることができなかった。途中、冷気を求め休憩。
天気や場所が違うと、桜島のいろんな顔が見れるんだろうなぁ・・・とため息。
鯉がいるとついエサをあげたくなる。お腹が減っていたとみえ、ものすごい数の鯉が恐ろしい勢いで寄ってきた。
エサを奪い合う鯉たち。鯉の上に鯉が乗ってる光景。そんなに、ここは、生存競争激しいのか?
夫が、面白がって写真を撮っていたようで、ちょっとグロテスクなこんな写真が・・・何枚もあった。そして、それをブログにUPする私。要は似たもの夫婦って事ですね(笑)
仙巌園 参考情報
- 仙巌園(磯庭園)島津氏別邸 HP
- 住所:〒892-0871 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
- TEL 099-247-1551
仙巌園(せんがんえん)は鹿児島県鹿児島市吉野町字磯にある薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。別名磯庭園。敷地面積は約5ha。
1658年(万治元年)に第19代当主であった島津光久によって造園され、その後も歴代当主による改築が重ねられてきた。借景技法を用い、桜島を築山に、鹿児島湾を池に見立てた素晴らしい景色と広大な庭園が特徴で、1958年(昭和33年)に国指定名勝となった。
幕末には第28代当主島津斉彬がこの敷地の一部を使ってヨーロッパ式製鉄所やガラス工場を建設するなどの近代化事業(集成館事業)を起こした。1857年(安政4年)には、園内の石灯籠にガス管をつないで点火させ灯火として用いたことから、日本のガス灯発祥におけるルーツの一つとして挙げられる場所にもなっている。
1888年(明治21年)からは焼失した鹿児島城に代わり島津忠義公爵一家の住まいとなっていたが、忠義の死後に跡を継いだ島津忠重は薩摩藩出身の新政府高官らによって東京市に移住させられ、仙巌園も住人不在となった。
1948年(昭和24年)、華族制度廃止に伴い鹿児島市の管理下に置かれたが、1952年(昭和32年)には島津家に返還され、現在は島津興業が管理している。
春の曲水の宴や江戸時代の作法に則って行われる端午の節句、七夕の展示、初冬に行われる草鹿式などが有名。
照国神社 参拝
鹿児島まで来たのだからと、島津斉彬を祭る神社、照国神社も参拝することにしました。
夏越祓(茅輪神事)の説明がありました。夏越祓(茅輪神事)とは、茅輪をくぐって禍を除き人々の不満を除けば平和になることが出来るという神事らしいです。
茅輪をくぐる時に唱える神歌・・・恥ずかしいので、私は無言でくぐってしまいましたけど、大丈夫ですかね?
照国神社 参考情報
- 住所:鹿児島県鹿児島市照国町19-35
- TEL:099-222-1820
- 交通:JR鹿児島中央駅から市電2系統鹿児島駅前行きで8分
天文館通電停下車、徒歩10分 - 駐車場:無料
島津家28代当主島津斉彬は安政5年(1858年)7月に50歳で急逝するが、文久3年(1863年)には勅命で照国大明神の神号が授与され、かつて東照宮が建っていた場所に神社の建立が始まる。
明治6年(1873年)には県社に指定、明治15年(1882年)には別格官幣社に昇格。斉彬の功績と明治維新での薩摩藩の役割が考慮されたと考えられる。
敷地内には斉彬の銅像がある。他に、その遺志を継いだ弟・島津久光や甥・島津忠義の銅像もある。鹿児島県下で最も多い参拝者を誇る神社であり、初詣の参拝者も例年鹿児島県1位の座を守っている。
Wikipedia 照国神社 より引用