家族旅行で鹿児島へ行った時に霧島神宮を参拝した記録です('06/07/16参拝)。霧島神宮のすぐ近くにある宿だったので、先にチェックインし、荷物と車を置いて、歩いて霧島神宮へ行きました。
大鳥居。写真UPの順番が無茶苦茶ですが、行きはとらずに帰りに撮ったので(笑)。
樹齢約800年といわれている御神木の杉や、途中の展望所で写した風景などの写真があったはずなのですが、整理が悪くて見つからず、ブログにUPできないのが残念。朱塗りの色鮮やかな社殿も、見つかり次第UPします。
霧島神宮 参考情報
- 住所:〒899-4201 鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
- TEL:0995-57-0001
- サイト:霧島神宮
欽明天皇の時代、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。
しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。
歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。
また、御神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。
もともと霧島山一帯が霧島神宮の境内であったが、1871年(明治4年)の廃藩置県の際に霧島山の頂上に沿って県境が引かれ、宮崎県内は神宮境内から外された。1882年(明治15年)にはさらに7810ヘクタールが削減され、1946年(昭和21年)の日本国憲法制定による宗教法人化で山林の大部分は日本国に譲渡された。その後、祭典行事に必要な789ヘクタールが神宮へ返還されている
Wikipedia 霧島神宮 より引用