2006/01/17

眼鏡橋・グラバー園・大浦天主堂 長崎観光を楽しむ

1泊2日の小旅行。江山楼で長崎ちゃんぽんを食べた後は、腹ごなしがてらテクテク歩いて眼鏡橋へ。長崎市・中島川の散策は、川沿いに歩いていくと眼鏡橋だけでなく常盤橋や袋橋等の石橋と街並みを楽しみながらお散歩できます。ちなみに、長崎観光(1日目)は、眼鏡橋→グラバー園→大浦天主堂。

眼鏡橋

日本最古の石造アーチ橋で1634年の架設、昭和57年の水害で半壊したが、翌年に復元されている。


↑少し遠くから写した眼鏡橋。


水面に写る橋と橋自体の姿が眼鏡のように見えるから眼鏡橋というようになったと言われていますが、残念ながら風で水面が揺れていて眼鏡のようには見えませんでした。また次回に期待します。

参考:

眼鏡橋とは、アーチが二つ連なった橋のことで、水面に写る橋と橋自体の姿が、眼鏡のようにみえることが由来といわれている。地域によってはアーチがひとつしかない石造アーチ橋のことも「眼鏡橋」と呼ぶことも多く、広義では石造アーチ橋のことを指す。
長崎市の中島川に架かる橋が有名で、日本三名橋に数えられている。
長崎市の中島川に架かる石造二連アーチ橋。現在、河口から数えて12番目の橋で日本初の石造りアーチ橋といわれている。
1960年(昭和35年)に国の重要文化財に指定された。1634年(寛永11年)興福寺の2代目住職、黙子如定(もくすにょじょう)が架けた。1648年(慶安元年)の洪水で損壊するが、平戸好夢が修復、以後度重なる水害に耐えてきたが、1982年(昭和57年)の長崎大水害で半壊した。修復時に江戸期とみられる階段跡が出土したため、階段が取り付けられた形で、翌年復元され、歩行者専用橋となった。 橋の長さは22m、幅3.65m、川面までの高さは5.46m。
Wikipedia(眼鏡橋)より引用

グラバー園


グラバー園からの眺め


旧三菱第2ドッグハウス 1896年、三菱重工長崎造船所第二ドックの側にたてられた洋館。明治期建築の典型的スタイルで当時は修理船や休憩宿泊施設として利用されていたそうです。

園内はいろんなところにベンチが置いてあるので、景色を眺めながら休憩。私達が訪れた時は冬でしたので、お花もあんまり咲いていませんでしたが、季節がよい頃は海だけでなく園内全体が綺麗でしょうね。

夏、長崎港内で開催される花火大会の際にはグラバー園から花火が見えるそうです。

グラバー園(旧三菱第2ドッグハウス内)

たくさん船の模型が飾ってあります。


ラ・レアール(18世紀頃) 地中海で活躍したガレー船で、大きな帆はあっても主な動力は300人以上のこぎ手による重労働の船だった。フランスのガレー艦隊の旗艦である。主に地中海沿岸防衛に活躍した。


ロイヤルキャロライン(1749年イギリス) 英国王室のヨットとして建造された。絢爛豪華な船である。1805年には世界一周をはたした本格派。王室カラーのロイヤルブルーと船首像の黄金は、さすがイギリス王室らしい気品と豪華さあふれるヨットである。


グレート・ハリー(1545年イギリス) 英国の船だが、正式名はフランス語でアンリ・グラサデュー。ヘンリー8世によって造られ、建造当初は180門の大砲をつみ、当時としては、世界最大の軍艦(約1,000トン)であった。


左:復元オランダ船、右:ワサ


そしてこれは皆さんご存知、黒船。

お船の説明読んでいたら、夫の姿が忽然と消えていました。せめて「先行ってるよ」と声をかけてくれないかな?(T_T) せっかく観光楽しんでいるのに、寂しい気持ちになってしまふ。

グラバー園(旧三菱第2ドッグハウス内)からの眺め


旧三菱第2ドッグハウスからの眺めです。 高台の斜面にあるので長崎湾や市街中心地を一望することができて気持ちいい。


旧三菱第2ドッグハウスの前に鯉がいたのでエサやりしました。お腹が減っていたようで食いつきがよく、エサやり楽しかったです。

グラバー園

長崎県長崎市南山の手町の斜面上にある旧グラバー邸などの西洋館を公開している有料の公園。


グラバー邸の門の前で記念撮影


↑旧グラバー住宅

旧グラバー住宅は、真上から見ると屋根が四葉のクローバーの形をしているんだそうですが、残念ながらヘリコプターとかチャーターして見るわけにもいかず、側面から普通に写真撮影。 日本最古の木造洋風建築で国の重要文化財に指定されていて、中には愛用のステッキや釣り道具などグラバーゆかりの品々が展示されているほか、天井裏には隠れ部屋も残されている。

旧グラバー住宅の近くには、石畳の中にハート型の石があって、見つけると恋の願いが叶うかも?と言われているようです。入り口でもらうパンフレットの地図には、ハートマークで目印がついていてわかりやすいです。

グラバー園 参考情報:

グラバー園住所:〒850-0931 長崎県長崎市南山手8-1
電話番号:095-822-8223

スコットランド出身のからトーマス・ブレーク・グラバーは1859年、彼が21歳の時に開港と同時に長崎に来日、グラバー商会を設立。 幕末の激動の時代の中、坂本龍馬をはじめとする志士達を影で支え伊藤博文らの英国留学を手伝うなど、若い人々への多大な援助を惜しみませんでした。 明治以降は純経済人として日本の近代科学技術の導入に貢献、とび色の瞳と赤い顔のため、彼が経営した炭坑の坑夫からは「赤鬼」とあだ名されましたが、その性格は豪胆で情に厚く、使用人の子供にさえお土産を忘れないきめ細やかな愛情の持ち主だったようです。同様に家族に対しても、妻ツルとの間に子供をなし、温かな家庭をつくり、中睦まじく日本で終生を過ごしました。1911年73歳の障害を閉じた部グラバーは現在でも長崎市の坂本国際墓地でツルと息子の倉場富三郎夫婦とならび眠っています。
グラバー園、パンフレットより

グラバー園 入場前売り券

JTB 割引チケット

大浦天主堂

グラバー園のお隣にある大浦天主堂へもついでなので行ってみました。結婚式があったのか教会の前で記念撮影していました。私、幸せそうな花嫁さん見るの大好き~。 「綺麗ねぇ。私達も、もう一回結婚式やりたいね。」(もちろん2人でって意味)と言ったら、夫はものすごく嫌な顔をしました。「結婚式の時の事は恥ずかしすぎて思い出したくない」ですって。


↑観光客も記念撮影

大浦天主堂 参考情報:

大浦天主堂
拝観券は大人300円

大浦天主堂(おおうらてんしゅどう)とは、長崎県長崎市にあるキリスト教(カトリック教会)の教会堂で、国宝に指定された唯一の洋風建築でもある(天主堂の「天主」とはキリスト教の神の意味である)。 江戸時代末期の元治元年(1864年)にフランス人司祭ベルナール・プティジャンと横浜から来たルイ・テオドル・フューレ(Louis-Theodore Furet)神父が基本設計を行い、天草出身の棟梁小山秀之進が建設した。建築当初は三本の塔を持つゴシック風のつくりながら、正面中央の壁面はバロック風で、外壁はナマコ壁という特殊なスタイルであった。1879年に増築され、外壁をレンガ造にあらため、完全にゴシック風の建物になった。
Wikipedia(大浦天主堂)より引用